自分と繋がるとは自分と向き合う習慣をつけること 自分という存在は今確かに存在している自分一人と思ってませんか? あなたという存在は一人ではありません。 自分という存在は 〇確かに存在している物質的肉体を持った自分という存在 〇自分を取り巻く見えない存在(守護者たち) 大きく分けてこの二つで成り立ってるのが自分という存在です。 この世の中は目に見えるものだけが全てではありません。 もし本当に目に見えることしか信じてないなら 何故神社仏閣にお参りに行きますか?初詣行きますよね? 何故墓参りや仏壇に手を合わせますか? 何故運という言葉を口にし、意識しますか? 何故努力しますか? 何故感情を気にしますか? 上記にあげたもの、どこか矛盾してるように感じますか? 神社仏閣に参拝すること、墓参りや仏壇に手を合わせること この二つは似てますよね? しかし下の三つ運、努力、感情これらは目に見えないけど確か に感じることではありますよね。上の二つと無関係のように思え ますが無関係じゃないですよ。 目に見えないものを確かに感じてますよね? 違うのは、運、努力、感情というのは何かしたことに対する 結果の表れとも言えるかもしれません。 しかしそれは視覚で物質的に確認できるでしょうか? 出来ませんよね? それ自体は。でもあるってわかってますよね? 見えない存在(守護者たち)も自分という存在の一部だと認識すること 何が違うのでしょう? 直感やひらめき という言葉があります。 私たちは日々無意識にこれら、直観やひらめきを使って生活してます。 これは疑いようがありません。 あるのは程度の差だけです。 例えば 仕事をする中で、 これをこうやった方が効率良い気がするからやってみよう 誰かに対して、それはしないほうがいいんじゃない?と指摘する 食事の時 身体に良いのはこっちだけど、あっちの方が食べたい気がする 人間関係において この人とはどうも馬が合わない この人といると何故か落ち着く、安心できる気がする 日常において 急にある場所に行きたくなった好きなもの、 嫌いなものがある好きなこと、 趣味がある 等々 これら、実に無意識に(時に意識的に)してますよね? 直感やひらめきというのは、何か特別なことではなく 実に些細なことから拡大していくものです。 その直感やひらめきというのは、どこから来てるのでしょう? 考えたことありますか? 自分の中ですよね? 例え誰か人から言われて あ、そっか!そういうことか! と思ったとしてもそれも一種の直感やひらめきというものです。 それは自分の内側から感じるものです。 それらを起こしてるのが、内なる自分=見えない存在ということが出来ます。 自分という存在は 目に見えてる物質的な存在と 目に見えない非物質的な存在 この両方から成り立っているんです。 この両方のバランス(目に見えてる現実世界と目に見えない精神世界) を日常的に取り入れ調和することが 自分と繋がる=自分らしく生きる ということです。