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光の世界の光と人間の世界の光は違う
神や天使などの光の存在の光は強く、
そのままでは人間がとうてい耐えうる
ものではなく、人間が視覚できるものではない。
光の存在がその場にいる場合、
人間の視覚ではその場がぼやけて見える。
神の光が人間に扱えるものであるならば
神という光の世界を人間と分ける必要もなく
神が自然も人間も守ることなどできない。
神の魂を持つ人間、神の光を扱える人間、
そのことを真に自覚している人間は
そのことを公にしたりしない。
なぜなら光の世界には光の掟というものがあり
守るべき聖域が存在するから。
真に光の世界の光を扱える人間であっても
肉体を持った人間として生きている以上
その光を扱えるよう努力する必要がある。
本当に神や天使といった光の存在と
何らかの形で触れたことのある人間ならば
真につながっている人間ならば
そのことを公言せずとも人間を光に導けるものである。
真に光につながっていれば
自分が光であると公言する必要のないこと。
またそれを公言する危険性を承知しているものである。
光の世界がどういうものなのか、光の世界の光が
どういうものなのか、それらを真にわかっていれば
地球に生きている人間としての人生を大切にする必要性を
理解しているものである。
龍神がついてる等自然霊に関しても同じである。
龍神などの自然霊には、自然界の掟があり
それは守られるべきものである。
それは光の存在であっても同じで、人間が変えられる権利はない。
龍神などの自然霊は、その存在、姿を公言してはいけない
ということは昔から語られていることであり例外はない。
神などの光の世界、龍などの自然界
それらにはそれらの世界ならではの掟があり破られない結界もある。
立ち入ってはいけない領域は人間界も同じである。
人間が光の世界の光を扱うには、
心身ともども鍛える段階というものがある。
そのことは昔から語り継がれてきたことである。